小林林はる代*BODY in the TV.

テレビの中にいる人々は、面白い。ング・春

かつしん×キムタク
落書き事件
松田優作レース
赤塚不二夫
眉を整える男たち
コメンテーター
せんとくん
DAIGO
福山雅治
スピルバーグ監督
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女子体操
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角界八百長問題
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小泉純一郎
北野武とビートたけし
谷亮子,よしもとばなな,松田聖子
福田さんと“声の影武者”
北京オリンピック開幕
エドはるみとサザエさん
福田さん辞任表明
洞爺湖サミット




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2008-10-16
オールカラーで、ホリエモン登場。
朝青龍とホリエモン

ホリエモンが夢に出てきた。かなりの長篇大作。彼には、なぜか小学生の息子が二人いて、三人で暮している。私は、緑でこんもりした大きな公園の則道から歩道橋を渡り、巨大なマンションの一室へと急ぐ。ドアを開けると、体育館のように広く真っ白な空間でホリエモンとスタッフ数人が、なにやら作業をしている。床にライムグリーンのシートを敷きながら、ホリエモンが「もうちょっと、そっち。引張って。そうそう」と指示している。私が挨拶すると彼は「最近はマンションを売ってるんですよ。でもただ売ったんじゃ売れない。だから内装を斬新にしているんです。これから広告用の写真を撮るところなんです」と説明してくれた。

これは夢のほんの一部。見ている最中に一度目覚め、再び眠り、また続きを見たのだが、その第二部の冒頭部分しか覚えていない。その前後は忘れてしまった。たぶん第一部で、小学生の息子が二人いるというくだりがあったのだと思う。なぜ、こんな夢を見たのかを検証すると、思い当たるフシがたくさんある。自分の現実がコラージュされる夢。とても興味深い。

***

それはさておき、ホリエモンが登場した理由は、担当編集者と彼の話をしたからだ。10日の粋な八百長、不粋な八百長の日記を編集者さまがとても気に入ってくれたようで、その話題になったときに、「朝青龍とホリエモンって似てるんですよね」ってなことをボソと言ったら、その妄想も気に入ってくれた。裁判では「不正をしたか否か?」ということが争点だが、世論では「粋に儲けたか否か?」が問題だったんじゃないのか。現状では、裁判結果がどうあろうとホリエモンは、政界・財界を含む一般社会から“不粋な男”の烙印を押されてしまっている。“不粋”という、もやもやとした罪状は確定済みということなんじゃないかと。そんな話をした。

で、そのあと、ホリエモンの“不粋”のおかげで笑った人、そのせいで泣いた人は、どんな人なんだろ? なんて漠然と考えていた。

・粋な人
・不粋な人
・正しい人
・不正している人
・「粋だ」と持ち上げた人
・「不粋だ」と烙印を押した人
・粋に正しいことをしている人
・粋に不正をしている人
・不粋に正しいことをしている人
・不粋に不正をしている人……etc

ということで、夢にホリエモン初登場。今回の夢は珍しく総天然色でした。

※写真の方は、どうだったのかしら

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2008-10-10
粋な八百長、不粋な八百長。
週刊現代と日本相撲協会の八百長問題裁判

またまた、週刊現代と日本相撲協会が八百長問題ですったもんだしている。

相撲は限りなくスポーツに近いけれど、スポーツじゃないから「スポーツマンシップにのっとり、正々堂々と闘うことを誓」わなくてもいいんです。触れたら正体がわかってしまう相撲という興行を、西洋的なスポーツという概念で捉えることに無理がある。

と、以前書いたことがあるが、今でもそう思っている。

当然、正々堂々と闘わないのなら、角界関係者が口々に叫んでいる“相撲道”とか“横綱の品格”というのは、いったいなにを核としているのか? って話になっていく。私は、その核ってのは「粋」だと思っている。勝っても負けても粋であることが相撲道を極めることで、粋に連勝するのが横綱の品格じゃないかと。

八百長にも、「粋」が適応される。角界の唯一のタブーは「不粋な八百長はしてはならない」ということで「粋な八百長」はまったく問題ないんじゃなかろうか。八百長疑惑に名前が上がる力士たちは、角界にとって、単純に「不粋」なだけなのだ。そして、そういう力士たちに「粋」を教えることができる人もいないのでしょう。

角界関係者が「日本のしきたり・文化を守っていかなければならない」というようなことを語るとき、それは「粋」を守っていくってことなんだろうと思う。だからといって私が「粋」を具体的にわかっているわけではない。で、この前、龍虎さんが語っていたことを思い出した。地方巡業に行ったときは、その地方出身の力士に華を持たせるために勝たせてあげるそうだ。これが「粋な八百長」の原型なのだろう。

週現と協会の八百長問題裁判に戻ると、一般社会では「八百長」そのものがタブーだけれど、角界では「不粋な八百長」のみがタブー。だから、両者はすれ違う。一般社会での争点は「八百長をしたか、しないか」なのだが、角界内では「粋か、不粋か」が争点なのだ。

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2008-09-29
政界じゃなくTV業界に入ったほうが、日本のためになった人。
『小泉劇場』は、いまだ続いている

鳩山由紀夫さんが「奇人とか変人とかいわれた小泉さんが凡人になってしまった。単なる、子どもがかわいい普通のパパ」とコメントしていたけれど、私は、小泉さんは相変わらずだと思っている。子どもがかわいいからではなく、自分のやりたいことをやっているだけだ。

総理大臣だった頃は、総理役を演じる役者と演出家、そして政策ではなく製作の三役をやっていたのが小泉さん。パフォーマー&ディレクター&プロデューサーを兼ねているわけだから、他の政治家役の役者たちに、おうかがいをたてずに好きなことができる。誰にも束縛されずに、やりたいようにやるってのが、彼にとって「自民党をぶっ壊す!」ことだったのだと、今は理解している。

家庭・学校・会社・国etc.組織に属さないと人は生きては行けない。だけど、みな組織に対して疲弊し、不信感を抱いている。だから、新党(新組織)を結成するのではなく、自民党(組織)に属しながら自民党(組織)をぶっ壊すと叫ぶ、いままでいなかったタイプの総理小泉さんに魅了された。ほとんどの人が「組織には属していたい。でも組織には不満がある。だけど自ら改革行動するにはリスクが大きい。組織をクビになったら大変だ」と、悶々としながらねじれた保身にあまじている。自らは、家庭も学校も会社も国も変えることはできないけれど、小泉さんならやってくれそう、そんな期待が小泉さんの人気の素だった。

引退して次男の進次郎さんを後継者にすることに関して「私の27歳の時よりしっかりしています。私は変人ではありません。普通の親バカです」と言っているけれど、これも“普通の親バカ”というより“普通の自分バカ”。役者業は引退して、ディレクター&プロデューサーに専念していたが、安倍さん、福田さん、小池さんと、役者がまったく振るわない。『小泉劇場』の視聴率はどんどん落ちるいっぽう……。

「こうなったら、ディレクター業も引退し、ちょっと早いけれどイケメン進次郎をデビューさせ、プロデューサー業に専念し、再度、『小泉劇場』で高視聴率をとってやる! 進次郎なら、キムタク総理の『CHANGE』ぐらいいけるぞ」なんて思ったのかも。冗談はさておき、真面目に考えると、政界じゃなくてTV業界に入ったほうが、日本のためになった人だ、小泉さんって。といっても、TV業界には小泉さんより凄腕の人はいるだろうから、トップに立つには、趣味の素人劇集団が多い政界が、ちょうどよかったのかもしれないね。

◆上の写真/まったく文章に関係ないけど、先週末放映された美空ひばりさんの特番、面白かったです

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2008-09-24
なんとなく、そういうのは、いかがなものかと。
シンメトリー(左右対称)人気とアシメトリー(左右非対称)人気

梶原しげるさんが、自民党総裁選、候補(だった)5人のしゃべりを大分析している。それが、そのまんまキャラ分析にもなっていて、興味深い。麻生太郎さんは、臨機応変、アドリブの効いた「いじり技」で部下や仲間から「きついことを言うけど憎めない人キャラ」とのこと。まさにそのとおりですよね。でもそれは、表の麻生さんだ。

“しゃべりの達人”梶原さんも冒頭で説明しているように、このコラムは、「しゃべり方のいいところを学ぼうではないか」という前向きなスタンスで書かれている。なので私は、裏面の突っ込みをばしてみましょ。

***

“いじりキャラ”って、意外と多い。えらいさんに“いじりキャラ”の憎めない人、いるでしょ? で、問題は、麻生さんと普通の“いじりキャラ”の人とどう違うか?ってことなんだけれど……。麻生さんって、キツイことも言うけれど、反面、ものすごく曖昧な表現を多用する人。「なんとなく,そういうのは,いかがなものかと」という言い回しが多い。このセリフだけ取り出すと、なに言ってるんだかさっぱりわからない。

バシバシッと言った後に、曖昧な言葉をチョロっと吐く。麻生さんのしゃべりは、バシバシッ&チョロ。この順番で常にセットになっている(福田さんは逆で、チョロチョロ&バシッ。うるさいハエを払うかんじ)。それって、相手に鋭いパンチを繰出した後、その威力に自身が驚いているようにも見える。「あ、またやっちゃた、やばい」から、曖昧な言葉でボケる。ついキツイことをポロリと言ってしまい失敗してきた長年の経験が、「なんとなく,そういうのは,いかがなものかと」いう“ボケフォロー”という技を編み出したのではないかしら。

だから、麻生さんの口は歪んでいるのだ。顔右半分はキツイ言葉を吐き出し、顔左半分はボケフォロー、キツイ言葉の反動を防御している。相反すること、炎を吐きながら同時に消火しているのだから、そりゃ歪むだろう。初当選したときの若かりし頃の映像を観たけれど、やはり顔のバランスは今と同じであった。

己の言動に対する自己&他者の反動を受け止めるには、あまりにも傷つきやすく心優しい人なのかもしれない。そこに、普通の“いじりキャラ”の憎めない人とは違う、超おぼっちゃまの繊細さ&ひ弱さを感じてしまう。麻生さんは、自分の言動に動じず、体全体で真正面から反動を受け止めガハハと笑える、シンメトリーの男ではないのだ。彼は、太っ腹ではなく、顔左半分という狭い範囲で一生懸命レシーブしている。

そんな、超おぼっちゃまとして生まれたゆえの悲哀が、アシンメトリーな顔面に現れる。理想と現実の分離という意味では、麻生さんの顔は今の社会を表現している。人々の希望と、国や政治家への絶望感を、まんま形作っている顔の持ち主が麻生さんだ。

***

それはさておき、TV画面を撮ったら(左上)、こんなんなりました。言葉を並べるより写真のほうが、その人を語っているね。歴代総理大臣91人の写真をながめてみたら、髪型までもが完璧なシンメトリーの総理ってけっこう少ない。小泉純一郎さんだけだろう、長髪で真ん中分け(通称:スケベ分け)しているのは。オールバックもシンメトリーだけど、無理矢理、髪を横断させ横別けにしているのか、オールバックなのか、一枚の写真では判断つかない人が多かった。

小泉内閣発足直後の支持率は戦後最高の80%。以前日記にも書いたけれど、小泉さんの人気の秘密を身体論で言えば、どんな角度から観ても変わらない、陰影のないシンメトリー顔にあった。そのとおり彼は、変わらず最後まで「郵政改革! 自民党をぶっ壊す!」を明るく叫び続けた。もちろん、よい政治家と人気のある政治家はベツモノですが。そうそうもうひとつ。歴代の中で、麻生さんのように、ここまでアシンメトリー顔の総理を見つけることはできなかったな。

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2008-09-22
かつしん×キムタク 白ブリーフのカリスマ性

先週、講談社の第3スタジオで撮影があった。スタジオ入りは『BODY in the MOVIE』のカバー撮り以来だから、2年ぶり。編集者時代から、あるとあらゆる撮影を経験してきたけれど、やっぱり好きだな、撮影現場。緊張感とわくわく感に、カキーンと脳が研澄まされる。まあ、最近はデジタル撮影だから、撮りながらPC画面で確認できるし画像も後処理できるので、一発勝負だった昔と比べ、現場の緊張感はやや薄らいだかも。

***

それはさておき、私にも印象に残っている撮影というのがいくつかある。ロケ撮影も含め書き始めたらキリがないのだが、今回は、スタジオ撮影で最も印象深かった勝新太郎さんのエピソードを。

会社辞めてフリーランスになったばかりの頃、仕事もお金もなく、でも時間だけはたっぷりあったものだから、知人スタイリストAさんのアシスタントとして、一度、借出されたことがある。勝さんがイメージキャラをつとめるドリンク剤の広告写真を稲越功一さんが撮影、という現場だ。Aさんは勝さんのスタイリングを担当。私は、衣装を運んだり、アイロンかけたり、ハンガーに吊るしたりなどの雑用をした。

勝さんは始終無口で、「着替え、お願いします」とAさんが言うと軽くうなづき、その場でいきなり服を脱ぎ始め、あっという間にパンツ一丁になってしまった。着替えブースに移動するのかと思っていたので面喰らった。その眩しい真っ白なブリーフ姿に、私の頭も真っ白。まだ若かったゆえ、公衆の面前で堂々とパンツ一丁になる男を見たのは初めてだったのだ(といっても幸か不幸か、その後、そういう男には遭遇していない)。スターというのは、どんな状況でも臆せず行動するのだと脳裏に焼き付いた瞬間である。

勝さんの白ブリ姿には、嫌らしさや幼稚さは微塵もなく、どちらかというと爽やかな色香と品が漂っていた。パンツ一丁でもカリスマ性を保てる、まさにスターだった。

***

話かわりますが、すこし前に、キムタクが“ジーパンのジッパーを下ろす寸前”という設定のCMを見た。「脱ぐの?脱がないの?どっちなの?」と、その中途半端さがイタかったな。脱いだところを見たいとも思わないが。当然キムタクは、チラリズムをウリにしているソフトなグラビアイドルと一線を画しているという期待もあったため……、ちょっとなんだかなと思ってしまった。

他のキムタクCMで、周囲の人々はみなパンツ一丁なのにキムタクだけ衣類を着込んでいてオロオロするという設定のものがある。あれは、パンツ一丁になれない彼の戸惑いが面白いのだけど……。キムタクパンツ論は、あらためていつか。

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2008-09-17
そうそう!系orなるほど!系 コメンテーター

朝、ワイドショーをながめるのが日課。これといって定番番組はなく、各局を切り替えながら気になるネタを観る。苦手な司会者やコメンテーターが長々喋り始めると、またチャンネルを切り替える。喋っている内容は、だいたいみな同じ。苦手なのは内容ではなく声だ。眠りから覚めたばかりの耳は敏感で、新鮮で美味しい音を欲しがるんですもの。

それはさておき、司会者はともかく、ポン!と膝を打つような爽快なコメンテーターはいない。ざっくりと別けると、コメンテーターには二種類のタイプがある。「そうそう!」と共感を呼ぶ人と、「なるほどね」と関心&感心をもたらす人。

そうそう!系の代表は室井佑月さんかな。「そうは言っても、現実は違っていて、悩んでしまいませんか?」というように、理想とリアルな自分の立ち位置との距離を表現するのがうまい。視聴者目線の本音を言葉にしてくれる。まあでも、そればかりで終わってしまうと「じゃ、いったいどうすればいいのよ?」ってことになる。

そこで発言すべきが、なるほど!系のコメンテーターなのだが、先ほども書いたように、なかなか“膝打ちの達人”現れない。みな、理想論を喋り「そりゃ、そうだけどさ……」と、私までもが室井さん口調になってしまう。ストレスが溜まる。そのおかげで、コレといった分析&提案をしていない室井さんが非常にかっこよく見えてしまうときがある。

なるほど!系では、
寺島実郎さんのキレが気持がいい。正直、話している内容を半分も理解していないと思うのだが、観ていて気持だけはイイのだ。わかりやすくて、面白くて、キレがいい、そして耳に心地よい声の持ち主、そんな四拍子揃った都合のいい“膝打ちの達人”が、いつか現れることを期待し、今日もまたワイドショーを観てしまうのであります。

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2008-09-11
眉を整える男たち

子どもの頃、眉毛を剃っている真っ最中の祖母に声をかけたことがある。振り向いた瞬間、彼女は手を滑らせ、左眉の半分をそり落としてしまった。その顔が怖くて怖くて、いまだに忘れられない。祖母は、外出する直前だった。知らずとはいえ悪いことをした。しかし、人の顔にとって眉毛がどんなに大事かを、彼女は文字どおり、体をはって教えてくれたのである。ありがたいことだ。おいっ。

TVをつけたら龍虎さんが喋っていた。思わず彼の眉に見入ってしまう。なんだか不自然なのだ。「ひょっとしてプロピア?」と疑ってしまうほど。でも、眉毛にそこまでするかな……。画面に近寄ってみると、眉の上部が青々としている。眉のお手入れをして失敗したパターンだな、こりゃ。あるある、そういこと。私の眉もりっぱなゲジゲジ眉で苦渋を砂のように噛んでまいりました。

眉って、山脈のように毛が生えている。上からの毛と下からの毛が、ちょうど真ん中でぶつかりこんもりと盛り上がる。「さあ、どうやって、このヒマラヤ山脈をくずすか?」がゲジマユの悩みどころであるのだ。私もそうだったが、初心者はだいたい、上の毛を全部剃ってしまい、今回の龍虎さんのようになってしまう。上だけなくなった眉は、真っ二つに割られた山脈のようだ。なだらかさを失い不自然。だけど、ひさし状態だから、マッチを1本乗せるには大変便利。おいっ。

それはさておき、眉を整える男性はケシカラン?という記事を読み「中年以降の人で眉の下側がスパッとなくなってる人はいただけませんね」という意見に大笑いしてしまった。「眉を整える男たち、皆さんはどう思いますか?」の問いには、「性別関係なく眉毛がありさえすれば、怖くなければ、不自然でなければ、なにしてもOK」かな。ちなみに、こんな記事もありました。参考までに。


ゲジマユで、よろしかったですか?

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2008-09-02 
ぼっちゃんリレー第三走者、福田さん辞任表明。

ぼっちゃんリレーの、とりあえずの最速者ね。まあ、第二走者といい勝負だけど。それにしても、第一走者はなかなかバトンを渡さなかったよね。最終走者はどういう記録を出すのかしら……。もちろん、第五走者、第六走者とぼっちゃんランナーがいるのなら、この際、全員早めにエントリーしてもらったほうがいいんじゃないかい? ぼっちゃんリレーはそろそろ飽きました。

***

日テレは“24時間テレビ”ネタで、もう一盛り上がりしたかっただろうな。私は、まったく盛り上がってないけれど、今日、エドはるみネタを書くつもりだったのにぃ。福田さんってば、いけずぅ〜。エドはるみネタはあらためて。

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2008-09-01
エドはるみ
サザエさんの、人気の5つの秘密

昨夜、TVをつけたらエドはるみの姿が映し出された。「身体中痛いだろうに笑顔を振りまくのは大変だなぁ」と思いながらチャンネルを替えたら『サザエさん』をやっていた。以前から、エドはるみの人気の秘密はサザエさんにあり(?)と思っていた私は、これはアニメを観て、そのとんでもない妄想を検証せよというお告げだろう、と、久しぶりにじっくり『サザエさん』を観ることに。

***

子どもの頃は感じなかったけれど、今は、どうみても、ナミヘイ&フネとカツオ&ワカメ親子は、祖父母と孫だ。サザエさんとタラちゃんも母子というより、若き祖母と孫というかんじである。今までは、面白いとか面白くないというより、「長寿番組ってことは面白いと思う人が多いんだろうな……」というぐらいでさして興味はなかったが、登場人物の妙なズレがきっかけとなり、頭ん中で、サザエさん一家のなにげない日常が、歪みヒビ割れ、30分の間にとてもシュールなアニメに変化していた。私が今さら言うまでもなく、だからこそ、昔々、『磯野家の謎 サザエさんに隠された69の驚き』』という本がミリオンセラーとなったのだろう。

それはさておき、シュール『サザエさん』から、エドはるみとサザエさんの似ている点が5つぐらい浮かびあがった。

1)一見、普通のジョシ
2)年齢不詳・趣向不詳・肩書き不詳
3)丁寧語・尊敬語・謙譲語がつかえる
4)明るい・ポジティブシンキング
5)常にセカンドポジション

これなぜ人気の秘密なんだろ? これから考えよう(笑)。
ってことで、次回へつづきまする。

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*ハル@シネマ
*BODY in the TV.
*ねこすず事件帳
*ねこすず学習帳
*社会現象な人々
*神々と猿々のダウト
*ひぃ・ふぅ・みぃ
*小林はる代のブックデザイン
*BODY in the MOVIE
*ボディ・イン・ザ・ムービー/講談社

2008-08-26 
売れない芸術家とその家族と、現金な画商。
「芸術」と「お芸術」。北野武ビートたけし

9月末で放送終了するTBSの情報番組『ブロードキャスター』の後番組『情報7daysニュースキャスター』にビートたけしを起用、という噂が流れている。夜のニュース番組はほとんど観ないのだが、彼がキャスターなら、ちょっと興味が湧く。

たけしといえば---、今月の初めに監督最新作『アキレスと亀』(9月20日公開)を試写した。たけし扮する売れない画家真知寿(まちす)と、彼を支える妻幸子<樋口可南子>の夫婦物語だ。「芸術とはなんぞや?」というテーマは、前作『監督・ばんざい!』と同じのだが、本作のほうがストレートにさくっと撮っている。ただ相変わらず、バンバン死人が続出。そのへんは、初監督作『その男、凶暴につき』から変わっていない。

***

売れない芸術家とその家族、現金な画商なら、子どもの頃から間近でたくさん見てきた。真知寿と幸子のような夫婦は、見飽きている。なので、有名な北野武監督と無名な真知寿はどこが違うのだろう? と、スクリーンを眺めていたのだが……、どこも違ってなんかいやしない。真知寿は北野武監督そのものだった。彼は、映画では喰えていない。タレントとして稼いだお金を映画に注ぎ込んでいる。西友練馬店でレジ打ちしながらサッカーやっている荒川恵理子選手と同じだ。私の妄想では、「芸術に生きる」ということは、何をしているかに関係なく、自分がやりたいことで喰えない状態をも意味する。

で、たけしがレギュラー出演を増やすと「あ、映画撮るお金が足りないんだ」なんて不埒なことを考えてしまう。「芸術に生きる」大変さは、私が子どもの頃とすこしも変わってない。なのに、“芸術”の魔力は衰えないのだ。「芸術に生きる」とは自分探しそのもの。それは、死んでもわからないだろう。死んだことはないけれど、知ったクチきいております。

話を戻すと、そんな「芸術」っていったいなんだろ? ということを、メタ映画として真正面から撮ったのが『アキレスと亀』。リアルな世界では、主人公真知寿のような親父には正直うんざりだ。「いつまでも売れない画家やってんじゃないよ!」って言いたくなる(笑)。まあ、半分は、そういう生き方ができる人々への愛憎混じった嫉妬心です。

---ともかく、『アキレスと亀』が面白いのは“芸術”と“お芸術”の境目を、真知寿が必死で探そうとするところ。まるで、北野武とビートたけしの境目を探しているようなんだよね。

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2008-08-25  
塊と個々。  
北京五輪閉会式の“鳥の巣”は、妖しい食虫植物だった。

開会式のときは火山に見えたけれど、いつの間に食虫植物に変身していたのねー。途中、火の上で踊っている巨大なアワビにのようにも見えたが(笑)。チャン・イーモウ監督がどんなコンセプトで演出したのかは知らないが「喰らい、増殖する」というイメージが脳裏に焼き付いた。無機質の建物を有機質に変えてしまう、とてつもないエネルギー。人々を呑込み、細胞分裂を繰り返し増殖していく生物。まさにそれが中国なんだなぁ。

“記憶の塔”の炎をやっていた人々は、アップで見るとヘルメットをかぶっていて消防士みたいで妙だった。でも、引きで見ると圧巻。開会式と同様、細部や個々がどうのこうのというより、13億人の塊が持つ巨大なエネルギーを体感した。たぶん安全第一を最優先しなければ、イーモウ監督はヘルメット無しで全身赤塗りで、すべてを人力で、もっと生物っぽくやりたかったんだろうな。

***

ベッカムもジャッキーも閉会式に登場するという情報が流れていたから、あまり意外性はなかったけれど、ジミー・ペイジにはちょいと驚きました。まあ、でも次期開催都市ロンドンのプレゼンテーションはつまんなかったな。なんだか「老成」という印象が強く、ワクワク感がなかった。

大ラスはジャッキー・チェンとアンディ・ラウでシメ。なんでトニー・レオンがいないの?とは思わなかったけれど(いや、ほんのすこし……オモイマシタ。笑)。それはともかく、ジャッキーの笑顔のカリスマ性をあらためて実感。この人の笑顔は、どんなに悲惨で辛いことがあっても、なにごともなかったよう、すべて大ハッピーエンドにしてしまう魔力がある。一見、普通のおじさんなんだけれどね。そういえば日本にも、三波春夫という笑顔のカリスマおじさんがいたな。

繰り返すけれど、開会式と同様、細部や個々がどうのこうのというより、13億人の塊が持つ巨大なエネルギーを体感できた。よくもわるくも、これが中国なんだ……、って。だからこそ、口パクで歌った少女と、歌声だけ出演の少女のことが気になる。彼女たちも、13億人の塊からすると、とるにたりない細部や個々なんだろうけど……。

北京五輪は東京五輪と比較されるようだけど、私の妄想では、中国と団塊世代が重なってしょうがない。

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2008-08-22  
なぜ、女子サッカーは“なでしこジャパン”って呼ばれるのかの妄想的答え。
女子サッカー対ドイツ戦、よくがんばったよね。

8月19日の日記に「女子サッカーは他の球技とは違う。だから、総称の成り立ちも違うのだ(^^)。どう違うのか?と問われても、今はわからない」と書いた。なぜ、女子サッカーだけが“なでしこジャパン”と呼ばれ、他の球技のように監督の名前をとって“反町ジャパン”とか“星野ジャパン”って呼ばれないのか? ということへの答え(妄想)なのだが、女子サッカーは家父長制じゃないからでしょ(笑)。冗談はさておき、

澤穂希選手は日テレベレーザと契約し、サッカーで食べているが、ほとんどの女子サッカー選手はそうではない。リーグチームに名前が登録されていても、お金をもらっているわけではないのだ。同じく日テレベレーザに登録されている荒川恵理子選手は、スーパーのレジ打ちで糧を得ている。“なでしこジャパン”の多くの選手が、天下の素浪人なのだ。戦うことで米を配給してもらえる侍とは違う。彼女たちは、どの城にも属していない。

ちなみに、日本産の“撫子”の和名は河原撫子(カワラナデシコ)だそうだ。花言葉は、「純愛」「大胆」「勇敢」「野心」「器用」「才能」「燃える愛」。清楚で従順、しおらしいというような静的なイメージを抱いていたけれど、違うのね。

***

 6月になると、西友内での立場も、アルバイトから嘱託社員にしていただいた。時間給のアルバイトとちがい、嘱託社員は基本的に固定給だ。遠征などがあると、仕事を休まなくてはいけないことがあるので、これはやっぱりありがたい。
 女子サッカーは援助があるわけではない。練習場に通ったり、試合会場に行くときに使う交通費も、基本的には個人負担。遠征時の新幹線代などは支給されるが、それ以外の交通費は自分持ちだ。<中略>
 女子サッカーは、ほとんどの選手が、アマチュアの世界。サッカーを職業としているJリーガーとは、まったく違うのだ。
 アテネ五輪以後も、私の基本的な生活は、あまり変わってない。週3回、午前10時から午後2時まで、西友練馬店でレジ打ち。仕事が終わると、家で昼食を食べてから、東京稲城市にあるヴェルディのグランドに自分で車を運転して練習に向う。

--
『行け!なでしこジャパン!』(荒川恵理子著/講談社)より--

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2008-08-21 
『レッドクリフ』のジョン・ウー監督。
あらかじめ足跡花火がCGだと知っていたら、しらけなかったのだろうか……。

11月公開の映画『レッドクリフ』のTVCMが、もう流れている。8月の頭に完成披露試写があり、北京五輪開幕二日前にスタッフ&キャストが来日し記者会見を行った。日本でも人気の三国志、その中の“赤壁の戦い”を描いた作品で、北京五輪に便乗し大宣伝して、日本でも大ヒットさせたいというジョン・ウー監督の熱意が、会見場に溢れていた。

監督の他、トニー・レオン、金城武、チャン・チェン、チャン・フォンイー、中村獅童の5人が登壇し、1時間の長きに及ぶ異例の記者会見は、めちゃめちゃ楽しかった。しかも、トニー・レオンと金城武という最愛の二人の俳優を目の前にしている私は、とてつもなく幸せな顔をしていたに違いない。俳優としてどうのこうのというレベルではなく、彼等の存在そのものを愛しているのだから(笑)。さらに、トニー・レオンと金城武という組み合わせが、ものすごく好き。二人が共演しているだけで心が震えてしまう。おいおい。

で、肝心の映画なんですが、ラストシーンでええええええーっ!?と叫んでしまった。私と同じく驚いた人が多かったようで場内が騒然となった。いざ、“赤壁の戦い”というところでTo be continued!とは、レオン&金城コンビが出演しているだけでシアワセな私も、さすがにびっくり。一本完結の予定だったのだが、丁寧に撮った結果長くなってしまい二部作となったようだ。後編は来年のGW公開予定とのこと。撮影が長くなった分、ウー監督は私財を投じたそうだ。そこまでしても撮りたかったのね。ヒットしないと私財も回収できないし。二部作だとわかったら、観客動員が減るかもしれないし。監督が必死なのもよくわかる。時間&コスト優先の従来のハリウッド方式ではない方法でアジアの映画を製作したとも語っていた。

記者会見では、二部作ということを隠してはいないが、あまりおおぴっらにしたくないという雰囲気があった。ジョン・ウー監督は嫌いじゃないし、レオン&金城コンビが出演しているだけでシアワセな私だからにして(しつこいね)、困ってしまう。「足跡花火がCGだたっとは許せん!」と正義を振回すタイプでもないからさ。冷静に作品主義に徹しても、一本分の半分しか観ていないのだから、あーだこーだ言えない。後半を観る来年のGWまで、ペンディングなのがはがゆいな。しらけないように、しらけさせないように生きるのは難しい。一瞬の真実と一瞬の嘘、そう違いはない場合もあるとは思う。

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2008-08-20 
福山雅治。 
「黒」の4割強に対し、「白」が6割弱。アテネは、真っ白だった。
http://www2.asahi.com/olympic2008/news/TKY200808190137.html

↑北京五輪でカメラマンが使用している、キャノン(白)とニコン(黒)の割合だそうだ。アテネ五輪では、ほとんどキャノンだったらしい。APのデニス氏のコメントには微笑んでしまった。カメラマンにとって、カメラは大切な相棒。彼の言っていることはよくわかる。

***

で、福山雅治だ。テレ朝の北京五輪オフィシャルカメラマンということで、彼の写真をTVモニタを通してちらほらと見た。どうして? 彼が? 北京五輪オフィシャルカメラマン? タレントということでおまけしてあげても、この人、写真ってのわかってないんじゃないか? なぜ彼を起用したのか謎だった。福山雅治って面白い感性していると一目おいていたので、すこしショックでもあったのだが……、

ようやく謎が解けた。彼の撮った競技中の写真は見るに耐えないものなのだが、場外のオフでの選手の写真はまあまあなのだ。そして、どの写真も、被写体となっている選手は孤独感に溢れ淋しそうなのである。彼の写真には時間を止めたいという願望が感じられた。そこには躍動感はないが、福山雅治の世界のようなものがあるような気もする。

報道カメラマンには、騒然としている渦中にレンズ越しにドカドカと入り込み、そこに居る人間の魂と肉体もろとも連れ去ろうとする図太さが必要なんだと、福山の写真を見て、あらてめて思った。心を打つ報道写真は、時間を止めるのではなく、時の新鮮さを永遠にキープするために網膜に刻むものではないだろうかとも。

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2008-08-19  
女子サッカー、対米国戦。正座して観始めました。
が、途中からとんでもない格好で暴れている自分に気がついた。

面白い試合だったな。といってもサッカーのルールなどよくわかってないから、解説者の言っていることもわからん。オフサイドってなに? もちろん、試合内容や選手のプレイ技術にも無知であるから、対戦チームのゴールにボールが入れば1点得点するという非常におおまかなルールのみで一喜一憂しているのだ。

そんな私でも、女子サッカーは面白い。男子サッカーと違うのは、試合の最中に人間関係が読み取れるからだ(純粋なサッカーファンからお叱りを受ける不届な輩であることは認めます。ゴメンナサイ)。試合中の選手の動きや表情で、彼女たちのキャラを読み取り、さらにゲームというリアルなドラマを創り上げる人間関係を把握するのが楽しい。

たとえば、エース澤選手はチーム内で浮いているように見える。だけど監督との信頼関係は厚い。荒川選手は、下克上タイプ。勝っている試合より、負けているときや同点のときに力を発揮する。北京五輪で女子サッカー四戦を観ただけの印象はこんなかんじ。他の選手も、自分なりのデータが蓄積されていけば、さらに試合が興味深くなるだろう。ま、私にとっての“自分なりのデータ”というのは、よそさまからは”妄想“だけど(笑)。

***

先日、読売サイトの発言小町に「なぜ、女子サッカーは“なでしこジャパン”って呼ばれるの? おかしいのではないか」というトピがあった。つまり、他の球技は監督の名前をとって“反町ジャパン”とか“星野ジャパン”って呼ばれているのに、なぜ、女子サッカーは、監督の名前じゃないのか?ということなのだが……。私はまったくそんなことに疑問を持たなかったので、逆に驚いた。

さらに、女子サッカーの監督の名前が、てっきり“撫子さん”だと思っていたという人も現れ、びっくりした。美しい苗字だとは思うが。“なでしこジャパン”というネーミングは一般公募で決めたらしい。まあ、それはさておき、同じ疑問を抱いている人が意外と多く、差異に細かい日本人らしいなと苦笑した。

その疑問に妄想で答えるなら、女子サッカーは他の球技とは違う。だから、総称の成り立ちも違うのだ(^^)。どう違うのか?と問われても、今はわからない。21日の対ドイツ戦が楽しみ!

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2008-08-18 
体操競技。 
単体では種族保存ができない競技。

競技中の男子体操選手って、身長が2メートルぐらいあるように見える。だけど、実際の選手たちは、一般平均身長より低めだそうだ。逆三角形の体で、手足を思いっきり伸ばす動きをするから、目が錯覚を起こすのね。低いほうが競技に有利なのはよくわかる。体はネオテニー化(幼形成熟)しているのに競技中は豪快な大男に見える、そのあたりがとても面白い。

もちろん、女子体操選手の身体もネオテニー化している。年齢制限を下げればもっとネオテニー化が進み競技には有利になるのだろう。しかし、前回の日記にも書いたように、人道的配慮に基づき、国際体操連盟は選手の平均年齢アップを推奨している。でも、これって逆に、選手の身体に負担をかけているような気もする。平均身長は毎年高くなっているのに、体操選手はそれと逆行するように、背の低さを保たなければならないのだから。年齢のネオテニー化を阻止すれば、その分、身体のネオテニー化競争は激しくなる。米で年齢詐称の疑惑が再燃 「金」の中国体操女子←こんな記事もあり。ネオテニー化は、生物の進化の手段。人間もネオテニー化することで種族を保存してきた。

それはともかく、女子体操選手は男子体操選手と違い、競技中、大女には見えることはなく、等身大の軽快さが小気味よい。女子新体操選手も同じ。さらに、新体操の選手には、華がある。アナウンサー・タレント・モデルに転向する人が多いのもうなづける。

ネオテニー化することで、男子体操は豪快さを、女子体操&新体操は軽快さや華をウリにできるのだけれど、じゃ、男子新体操は? となると……、他とは違うウリが生まれたとは思えない。豪快さ、軽快さ、華、すべて曖昧なのだ。どのくらい曖昧かというと、ロバと馬のハーフ、ラバぐらい。生物学的にはラバは子どもが産めない。ラバ単体では種族保存ができないのだ。こう考えると、競技は、絶滅危機に瀕する種と新たに発見される種がある生物に似ている。

今回の五輪で正式追加されたオープンウォータースイミングってのは、どんな競技なのだろう。次期ロンドン五輪で無くなる競技もあるから、競技種目体系のようなフローチャートがあると興味深いな。そうそう、カーリング競技を初めて知ったときは驚いた。競技自体がネオテニー化していると思ってしまった。生物ほどではないが、世界にはまだまだ「えっ!? なにそれ?」という知らない競技がたくさんあるのはたしか。

***

『スポーツの歴史』(白水社/文庫クセジュ)によると、【主要スポーツの国際機関設立年代】は下記のとおり。体操がトップなのか……、陸上かと思っていました。球技のトップは、やはりサッカーなのね。

1881/体操
1887/射撃
1892/ボート、スケート
1900/自転車
1904/サッカー
1907/ヨット
1908/水泳、アイス・ホッケー
1912/陸上、レスリング
1913/フェンシング
1920/重量挙げ
1921/馬術
1908/ボブスレー
1924/カヌー、ホッケー、スキー、卓球
1931/弓射
1932/バスケットボール
1934/ラグビー
1946/ボクシング、ハンドボール
1947/バレーボール
1948/テニス
1951/柔道

***

女子サッカー、今日の準決勝が楽しみ。

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2008-08-15  
なぜ男子新体操は生き残れなかったのか?

体操と新体操の違いってなんだろ? 見ればわかるでしょ、と言われればそのとおりなのだが、新体操が誕生した背景が知りたくなった。体操競技から単純に分化したのだろうと考えていたのだが、そうでもないようだ。19世紀初頭のドイツで生まれた手具体操というのがの原型で、1984年のロサンゼルス大会でオリンピック公式種目になったらしい。サイトの少ない情報から、遊戯として生まれ競技に発展していったのではないかと推測した。

私が妄想していた新体操の誕生ストーリーには、三人の元体操選手が登場する------ 一般人の中では平均的サイズではあるが、女子体操界では身長が高すぎる選手と、身体のサイズは問題ないのだが筋力や運動能力にやや欠ける選手と、華があって美しいけれど他の能力はイマイチという選手(床運動は得意だが、その他はふるわない選手)が、ある日突然「体操なんてやってられないわ。みなで新しい世界を創りましょう」と意気投合してできたのが新体操 ------と、突然変異説を夢想していたのだが(笑)。

それはさておき、オリンピック公式種目の新体操は、女子のみ。男子新体操というと、日本の団体徒手体操というのが原型で、1946年の国体で新体操として競技デビューしたそうな。しかし、男子新体操は今年限りで国体競技から外される。絶滅の危機に瀕している種目だ。野球のようにプロ&アマチュアリーグが確立されている競技なら屁のカッパだが、男子新体操にとっては痛いでしょ。日本で生まれながらも世界に認められず、国内においても淘汰されたのだから……。

なぜ男子新体操は生き残れなかったのか? 
面白くないから。
……それを言ったらミもフタもないでしょ、ねぇ?

つづく

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2008-08-14  
女子体操
ネオテニー化はオリンピック種目として生き延びるための戦略!?

女子体操団体戦を観た。こんなに真剣に観たのは30年前のモントリオール五輪以来。あのとき、10点満点を出し「白い妖精」と賛美されたルーマニアのコマネチが、いまだに忘れらない。

彼女の姿は、理想的な女子体操選手のイメージとして頭の中に保存されていたが、あれから数十年過ぎた昨日、ようやく刷新された。今の選手は、妖精というよりリアルで等身大の少女で、競技前後の、監督やチームメイトとのやりとりを観察していると「このコはあのコとは仲がいいけど、こっちのコにはかなりライバル意識を持っている」などと推測でき、人間模様まで楽しめた。

モントリオール五輪当時、14歳だったコマネチの出現により、以後、選手のネオテニー化(幼形成熟)がさらに進み、現在の女子体操界はすごいことになっているのではないかと妄想を膨らませていたが、思ったより健全な世界であった。残念。おいおい。

私が心配するまでもなく、女子体操の極端な低年齢化や年齢詐称などが問題となっていたそうで、
北京五輪に参加している体操選手の平均年齢がアテネ五輪よりも高くなったことについて(女子は17・46歳から18・60歳へ)、国際体操連盟も喜んでいるらしい。しつこいようだけど、私は喜んでいない(笑)。
コラコラ。女子体操の出場資格についてJOCJGAに確認したところ、モントリオール五輪のときは14歳でも出場できたが、現在は16歳だそうだ(オリンピック開催年の12月31日までに16歳になる人ならOK)。

なるほど、そういうことだったのか……。30年の長きにわたり放置していたにもかかわらず、体操競技に、がぜん興味を抱いた私は、ネオテニー化は、オリンピック種目として生き延びるための戦略だったと気がついたのだ。そりゃまた、たいそうな話でんがな〜。どうなることやら……、わしゃ、しらんでぇ。

つづく

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2008-08-13  
姿勢同調シンクロニー/中国と福田さん“声の影武者”

中国外務省が冷凍ギョーザによる中毒の国内被害を認めたという報道があったのが、五輪開幕二日前の8月6日。ちょうど半年前に、FNNが「天洋食品で2007年、19歳の女性従業員が死亡する事故」を報道した(FNNサイトの記事はすでに削除されているので、ココの全文引用を参照)。やはり、この事件を表ざたにしたかった人の犯行なのかしら。それにしても、福田さんは中国に優しい人やね。

そうそう、それで思い出した。先日TVで、防衛大臣の林さんが話す姿を初めて観た。この人の声と喋り方、どこかで聞いたとがあるな……、と思って目を閉じ耳を澄ましていたら、びっくり! 我が国の首相にそっくりじゃありませんか。体や顔の骨格が似ていると声も似ている場合が多いけれど、二人はまったく違うボディ&フェイスだから、不思議。

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話はとぶが……、仕事で、いろいろな編集部にうかがう。同じ会社内でも、部によって雰囲気が違う。そして、その違いに大きく影響をしているのが、部のトップである編集長(部長)の存在だと、しみじみと思うときがある。部員は無意識に編集長の真似をするからだ。様々な影響があるとは思うが、表面的でわかりやすいのが、話し方である。声までとはいかないが、喋り方やボキャブラリーが似てくる。心理学用語では、姿勢同調シンクロニ−(以下、シンクロ)と呼ぶらしい。

このシンクロ、恋愛やコミュニケーションにも応用できるようだ。相手に気づかれないように同じ仕種をすることで、自分の好感度を上げることができるらしい。

***

首相とのシンクロ上手が入閣する!? まさかね(笑)。ちなみに林さんは、 北京オリンピックを支援する議員の会幹事であり、日中友好議員連盟事務局長で若手訪中団団長だそうだ。中国つながりで、今、旬の人なのね。

女子サッカー、準々決勝進出決定。ノルウェー戦はシュートがバシバシ決まり、爽快だったな。

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2008-08-12  
谷亮子よしもとばなな、そして松田聖子  
「ママでも金」と「パパでも金」。罪悪感と旬。

試合前から様子が変だった。きちんと女子柔道の試合を観るのは初めてなので「谷亮子が闘うときは、いつもこんな表情なのかしら?」と思ったが、やはりどこか変。彼女から闘志が感じられない。試合が終了し、実況アナウンサーが「ママでも金はなりませんでした……」と残念そうに喋り続けている間、よしもとばなな言葉を思い出した。

「子ども産むと残酷な話が書けなくなるから、今のうちにたくさん書いておいたほうがいいよと、先輩作家に言われた。実際に子どもを産んだら、そのとおりだった」というようなことを、雑誌の対談で語っていたのだ。それを読み、たとえ小説という架空の世界であっても、子どもを産み育てている女は、自らを苛酷な世界に追い込み居座ることが困難になるのだ、と思った記憶がある。

作家のよしもとですらそうなのだから、相手を打ち破り勝つことを目標とする格闘技選手谷の場合は、もっとハードだろう。相手を倒すという闘志と、我が子を守り育てるという愛情は相反する。試合に臨むモチベーションの維持は、かなり大変だろう。だからこそ谷は、「ママでも金」と自分自身を鼓舞し、頑張ってきたのだと思う。

これが逆に父親なら「子どものために」と闘志がみなぎるのかもしれない。たとえ子どもが病気になっても「この子のためにも勝つ!」という闘魂がキープできるのかもしれない。妻がめんどうみているから、子どもを放って闘いに挑むことへの罪悪感は少ないだろう。安心して攻めることに専念できる。だから、あえて「パパでも金」と公言しなくてすむ。

谷に関する記事をネットで拾い読みすると、育児と柔道の狭間で葛藤している様子がうかがえる。仕事と育児の両立に悩む普通の母親と同じだ。例外もあるが、子どもと接する充分な時間がとれない罪悪感は、やはり父親より母親のほうが強い。原始より、母親には子どもを見離すことへの罪悪感が、そして子どもには、見離した母親に罪悪感を与える遺伝子が刷り込まれているのかもしれない。その罪悪感が存在しなければ、子どもは母乳を飲めずに死んでいき、私たちは今、地球にいないはずだ。

そういえば、全身モチベーションの塊のような松田聖子でさえ、妊娠出産後は芸能活動のペースを緩めていた(人気が落ちたとも言えるが)。どんな人にも旬ってものがある。世の中で何かを達成するためには、その人の旬が社会のニーズにはまるかどうかが問題なのだが、さらに悩ましいのは、成し遂げたい事の旬と、親としての旬が重なったときでしょう。育児と仕事の両立は、罪悪感と旬のブレンドで出来ている。

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2008-08-11  
スピルバーグ監督が降りた、もうひとつの理由  
北京五輪開会式は“膨大で万里”の、まさに中国だった。

けっこう面白かった。純粋に演出だけを取り上げると、突っ込みどころはたくさんあるけれど、その突っ込みも含めて、芸術監督のチャン・イーモウの演出は“中国”を現していたんじゃないかな。

膨大な人数で、太鼓叩いたり、太極拳やったり、ホタル(?)になったりするシーンは圧巻だった。で、一斉に、ホタル人間が空中を舞うってのが観たかったな。あの人数を飛ばすのは、いくらワイヤーワークを得意とする中国映画人でも、無理か。

最終聖火ランナーが、空中を一周して点火するまで、すっごく長く感じた。ワイヤーに吊るされたランナーは、巨大なスクリーンとなっているスタジアム壁面に沿って走る。その軌跡に合わせ、中国の歴史が少しづつスクリーンに映し出され、“現在”である聖火台を目指すという趣向なのだが、中国の歴史って飽きるほど長い。いつまでたっても、点火点の“現在”にたどり着かず、深夜だったこともあり、がむばって目を開けて観ていたのだが……、眠くなった。

後から知ったのだが、映し出された中国の歴史映像には“文革”も“毛沢東”も登場しなかったそうだ。それで「なるほど」と思ったことがひとつある。今年の三月、チベット騒動に抗議し、スティーヴン・スピルバーグが北京五輪の芸術顧問を降りた。そのときに、イーモウ監督は、スピルバーグ監督のことにはあまり触れず、中国史を描くパートに悩んでいると言っていたのだ。限られた時間で、中国五〇〇〇年の歴史をすべて観せるのは無理だから、シンプルにする必要があると。

今考えると、イーモウ監督の発言は、開会式で削除された中国の歴史を巡り、いろいろあったことを示唆しているようにもとれる。……それはともかく、通称“鳥の巣”スタジアムから、これまたすごい数の花火が打ち上げられた。夜を背景に全貌を映し出されたスタジアムは、巨大な火口を持つ火山が噴火しているようだった。閉会式では、火口から火の鳥“鳳凰”が天空に舞い上がったりしてね。で、次期開催地であるロンドンまで飛んでいく……、あまりにも普通すぎるか。女子サッカーは、荒川恵理子のキレがイマイチだった。

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2008-08-08  
八のゾロ目は中国ではラッキーナンバー 
北京オリンピック
開幕。 

北京のタクシー運転手たちのために、外国人接客マナー集が配布されたそうだ。先日、報道番組で紹介されていた。

アメリカ人はコウモリが嫌い/フランス人の女性に年齢をたずねてはいけない/ドイツ人はサッカーの話が好き/イギリス人は、ミスター、ミセスなど肩書きで呼ぶこと etc. 日本人の項目には、「三人で写真を撮るのが嫌い/数字の4と9が嫌い/緑色と紫色が嫌いで、黄色が好き」と書かれているそうだ。

たしかに子どもの頃、三人で写真を撮ると真ん中の人間が早死にするという噂があった。今はどうなのだろう? 4と9は「死」と「苦」を連想するから縁起が悪いと言われている。御祝儀も4万円は不吉とされているので、好き嫌いではなくマナーとして、その金額を包んだことがない。

色に関しては――、出版界では緑色の本は売れないというジンクスが長い間君臨しており「緑色にまつわる謎」と題して日記に書いたことがある。それを読んだ知人が「バーゲンで一番出回るのは緑色の服」だと教えてくれた。しかし最近は、緑色の本をよく見かける。バーゲンにいかないのでわからないが、私に限っては、グリーン系の衣類は嫌いじゃない。 紫色は子どもの頃苦手だった。周囲の子もそうだった。たしか、クレヨンで一番減らない色だったような……、集団心理なのか? まあ、生活圏に紫色のモノがなく馴染みがない色だったのだろう。

というように「緑色と紫色が嫌い」というのは、そういわれればそうなのかなぁ〜ぐらいのレベルで納得できるが、「黄色が好き」というのは謎。中国が本家で、日本でもブームの風水つながりか? 風水では黄色い財布を持つと金運がよくなるらしい。じつは、私の財布も黄色だ。うっかり&あわて者なので、置き忘れぬよう目立つ黄色の財布にしている。しかも大きくて、スリも臆するしろもの。他の物に例えるなら、注意を引きやすい小学生の黄色い帽子のようなものかな。

それはともかく、マナー集にピックアップされた日本人の好き嫌いは、都市伝説のようなものに限りなく近い。あれが好きだとか嫌いだとか、自分の好みを具体的にはっきり言わない曖昧な人種だから、都市伝説のようなものをピックアップするしかなかったのだろう。接客に役立つかどうかは疑問だが、この三項目に、日本人に対する中国人の、他国とは違う戸惑いを感じた。マナー集を読んだ北京のタクシー運転手が、日本の公道を走る緑色のタクシーの存在を知ったら、さらに驚くだろうな。わけわからん!って。私だって、自分を含め日本人がわかりません。あ、そうそう。今回のオリンピックでは女子サッカーを応援します。

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2008-08-05  
唯一の記憶
赤塚不二夫が亡くなった。 

漫画本とは無縁の人生を送ってきたが、『天才バカボン』『おそ松くん』『もーれつア太郎』『ひみつのアッコちゃん』は、TVアニメで観ていた。どれも原作者が同じで、赤塚不二夫という人だということを大人になってから知ったという漫画オンチである。

だから、彼の作品を分厚い漫画本で笑いながら読んだことはないのだが、ひとつだけ記憶に残っている作品がある。それは『ひみつのアッコちゃん』のアナザーストーリーだった。その漫画に登場するアッコちゃんは、「テクマクマヤコン テクマクマヤコン」とか「ラミパス ラミパス ルルル……」と呪文を唱えたりしない一般人だった。見た目はまったく同じなのだが、少女というより大人の女性の雰囲気があった。

そのアッコちゃんは、家の外では愛想がよく笑顔を振りまき、自分を犠牲にし、とにかく人のためになることを必死でする。だけど、一歩家に入ると、外での反動が大噴出し、罵詈雑言を吐いて大暴れする人間に変身してしまうのだ。アニメ『ひみつのアッコちゃん』に慣れ親しんでいた子どもの私には衝撃的な内容だった。ディテールもオチも覚えていないほど、アッコちゃんの変貌ぶりにショックを受けた。

このアナザーストーリーが、なんという漫画本に掲載されていたかわからない。自宅には漫画本がなかったから、読んだのは親戚の家だったのだろうが、どこで読んだかも記憶にない。ただ、そのとき、『ひみつのアッコちゃん』を描いている人は「ただ者じゃない」と、ぞくっとした感覚だけが鮮明に残っている。

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2008-07-15  
甘い関係を売る、DAIGO。
http://ja.wikipedia.org/wiki/DAIGO%E2%98%86STARDUST

面白いキャラだなぁ。と興味を持ったのは、一ヵ月程前。あまりTVは観ないのだけど、不思議なことに何気にスイッチを入れると彼が映っている。見事なシンクロ。これもなにかのご縁だと、つい観入ってしまう。オバカキャラブームにはあまり心動かされなかったが、DAIGOは、もっと観たいと思わせるなにかがある。ネタもまだ新鮮なので、彼の話を楽しむには今が旬だ。

まんまじゃん!と言われそうだが、DAIGOは、孫キャラだ。彼の話を聞くときの私は、知らず知らずのうちに、孫を愛でるばーさんになってしまっている。孫はどんなオバカでも可愛い。だから、彼はオバカキャラの延長線上にいるのはたしかだ。

でも、オバカキャラの延長線上にいるといっても、彼はたたのオバカではない。漢字も書けるし、一般教養があることも話の端々からうかがえる。それなら、オバカキャラの延長線上ってのは違うじゃん!なのだが、まあ話を聞いてくださいな。

オバカキャラというのは、クイズ番組で高得点を取るリコウキャラとの抱合せで存在している。オバカキャラはリコウキャラが存在しないと成立しない。逆も同様。この二つのキャラは表裏一体で、お互いに光をあてることで共生している。

DAIGOは、表裏一体のオバカ&リコウキャラなのだ。ひとりボケ&突っ込みのようなものだが、リコウキャラは隠していて、ときどきチラリと見せる程度。このテクニックが、私のばーさん心をくすぐるのだ。「頼りないようだけど、うちの孫もなかなか見所があるのう」ってね。

DAIGOのそういう駆引きは天性のもので、彼の祖父であるあの人に似ている。彼は、日本国中、私もあなたも、じーさんばーさんにしてしまうだろう。ほんまか? 初めての孫はとくに可愛い。お。そっか・・・。孫キャラを訂正し、初孫キャラとしましょう。

彼の話だと、最初は、「孫たちの中でおじいちゃんに可愛いがられるランキング」では上位だったようだが、成長するうちに落ちていったらしい。だから彼が、実の祖父との関係を、日本国民を相手に初孫キャラでリベンジしているようにも感じる。有名政治家の孫であることにより、決して見せてはいけない痛みもあるだろう。

人気が衰えない元総理を父に持つ芸能人は、生々しすぎる。でもDAIGOは、故人である元総理の祖父を簡単にファンタジーに変えてしまう。かといって美化するわけではなく、祖父を落とすことなく笑いに変換できる。そこが、うまい。

息子&娘には厳しいが孫には甘いと言われるが、子どもの視点から捉えれば、両親は厳しく祖父母は甘いのだ。DAIGOも私も、ひょっとして日本も、一般的な祖父母と孫に代表される「甘い関係」に飢えているのかもしれない。

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2008-07-10 
社長&社長夫人が大集合の国際大宴会 
合言葉は、エコエコアザラシ。

東京の警戒態勢も今日には元に戻るのかな? 先日、アメリカ大使館の近くまで出かけたのだが、一般人より警察官のほうが多くて驚いた。わかっていたけど、想像以上の配備である。各国首脳持ち回りの、日本を会場とした宴会もようやく終了。「開催国首脳として福田さんにはリーダーシップを発揮してもらいたい」と TVの中の人々は口々に言っていたけれど、プライドさえ邪魔しなければ、彼はリーダーというより宴会の幹事役にぴったりだ。

サルコジさんの奥さんカーラさんが宴会に不参加。ファーストレディーとしていかがなものか?という声も多かったようだが、ファーストレディーというのは職業なのかね? 斎藤美奈子さんが「 社長になるか、社長夫人になるか。それが問題だ。玉の輿。お祖母ちゃんもお母さんもお姉さんも、みんな同じ夢を抱えてきた。そして今、あなたは?“欲望史観”で読む女の子の百年」を書いた『モダンガール論』(文春文庫)って本を出しているけれど、ファーストレディーってのは、この本でいう社長夫人の頂点のようなものでしょ。逆にミニマムにもっていくと、専業主婦も、ダンナを社長とする一家という会社の社長夫人となる。専業主夫だったら、夫妻の役割が入れ替わってね。

で、カーラさんは、フリーランスでお仕事しているんだから社長であり、なおかつ別会社の社長夫人ってことになる。もちろん、ダンナが経営する別会社のほうが断然規模は大きいのだが、彼女は、ファーストレディーだけどファーストレディーではない。不参加だっていいじゃないの。ドイツの社長、アンゲラ・メルケルさんの夫、つまりファーストジェントルマン(?)のヨアヒム・ザオアーさん(科学者)も来なかったが、ファーストジェントルマンとしていかがなものか?とバッシングを受けたりしない。彼は名前さえニュースで流れないのだから、その無関心さはカーラさんと大違いだ。

***

宴会では「エコエコアザラシ」と呪文を唱えているようだったけど、祈願は成就したのかしら? 各国社長は専用ジェットで宴会に参加したわけだけど、その往復でまき散らした膨大なCO2を含む宴会開催のために排出されたであろうCO2の総量と、投入された600億円と宴会の成果は、かなり微妙な収支なのでは? TV各局も、一生懸命エコエコアザラシキャンペーンやっていたけれど、そんなことするより、1日の放送時間を1時間でも短縮したほうが説得力あるし、エコそのものだと思ったな。

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2008-07-04 
みなが「聖」とするものとのつき合い方  
落書き事件。
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20080703-OYT1T00402.htm

落書きの比較文化論をやりたいと思ったけどデータ不足です。海外で唯一、「落書き」で思い浮かぶのは、いまはなきベルリンの壁。でも、あの壁は、忌わしいモノであり、落書き事件が起きたサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂とは位置付けが違う。ベルリンの壁が「災」なら、大聖堂は「聖」の象徴。・・・、だから問題になるんだよね、あたりまえだけど。「聖」を落書きという「災」で汚すことになるから。

でも、落書きをした人々は、その行為を「災」とは思っていない。たぶん、大学生たちは七夕の短冊に願い事を書くように、高校野球部監督は神社で絵馬に祈願を書くように、日本ではありふれている願掛けをするような気分だったのだろう。だから、気持はわからないでもない。単純に、「聖」なるものへ自分の名前を書き印し、同化することで「聖」なるものにあやかるという、自分にとって都合のいい架空の取り引きは、瞬間的には美味しいもの。

***

「ベルリンの壁に落書きをする」という行為には、社会に対する人々の苛立ちを浄化する作用があった。落書きが、あの巨大な壁に立ち向かうエネルギーとなり、壁が象徴する忌わしきものをぶち壊した。「災」に「災」を投げつけ消滅させた。落書きが、世界を変える力として機能した。そこが、「聖」なる大聖堂への落書きと大きく違う。

・・・と書いたところで、おぎやはぎのニュースを知る。なんという奇遇。

日本の芸能人が、崩壊から17年後のベルリンの壁にサインをしても浄化作用も起こらないし、世の中を変える力も持たない。あの壁は、すでに「災」の役目を終え、大聖堂と同じように「聖」となり、保存されているのだ。だから、彼等が自費で1989年以前のベルリンへ行って、「聖」となる前の「災」の壁にサインしていたのなら、そしてそれが今、発見されたのなら、批難はされなかったよね? たとえ動機が、「ベルリンの壁にサインしてるボクたちってカッコいい!?」という自己顕示であったとしても。

その場合は、すでに『ごきんげんよう』などのトーク番組で自らすすんで話しているだろうな。「東西ドイツの統一を願って、崩壊前のベルリンの壁にサインをしてきた」と。もちろん崩壊後にね。

***

門前町で生れ育った私の身体には、「聖」なるものに落書きをする(汚す)と「災」がふりかかるという教えが染み付いている。みなが「聖」としてあがめているものを汚すときは、「聖」の信奉者をすべて敵に回してまでも成し遂げたいという、それ相当の理由と覚悟が必要だ。ということを、気がついたら叩き込まれていた。その教えは「善悪」というより、「理」である。ただ、その「理」は別の意味で呪縛となるときもあり、使い方が難しい。それはともかく、

電話したあといつも、メモ帳に残った落書きの意味不明さに頭が痛くなる。「なんじゃこりゃぁ!?」ってね。まあ、この程度の落書きが私の分にふさわしく、気楽です。そうそう、神社仏閣で自分のことを願掛けしたことがない。お賽銭投げて「こんにちは。ごぶさたしてます。今日は天気がいいですね」と、心の中で日々の情景描写するのが私のお参り。絵馬も書いたことない。お金出してんのに、願いが叶わなかったら、お気に入りの神社仏閣を一生恨んでしまうような気がするから(笑)。そんなん嫌ですのん。

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2008-07-01   
せんとくん」は有名だが、好感度は「まんとくん」に軍配――。
平城遷都1300年祭のキャラクターについて、そんなアンケート結果が出た。
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200806260060.html

好き嫌いはともかく、「せんとくん」はインパクトがあるよね。「まんとくん」は無難だけど印象が薄く、漫画『ワンピース』のトニートニー・チョッパーに似ている。そういう突っ込み方をすれば「せんとくん」も、角がはえたアニメ『一休さん』だけど・・・。それはさておき、

「せんとくん」のほうがインパクトはあるのに好感度はイマイチというのは、なぜなのか?

「まんとくん」は動物を擬人化したキャラ、「せんとくん」は、なぜか角がはえてしまった人間、つまり異形の人間。そのあたりに秘密が隠されているような気がする。「せんとくん」は仏像がモチーフだそうだが、たとえば「鬼」のような単種で存在する架空の生き物でもなく、見た目はあくまでも人間の変種だ。

そして、“インパクト高&好感度低”というデータを読み取ると「衝撃的だけど愛されない」ということになる。「不気味」なのだ。動物を擬人化した動物の変種「まんとくん」より、人間の変種「せんとくん」のほうが人間にとって「不気味」、ということになる。

人間は、自分と同じはずの人間が、自分と大きく変わっていることにストレスを感じる。そのストレスを解消するための単純な方法が差別なんじゃないかと思うのだが、どうでしょう? とくに日本の場合は、多民族国家じゃないから、些細な差異にも敏感。差異は「不気味」なのだ。差異がある「不気味」な者が主流になることは、あまり好まれない。

動物を擬人化したキャラは、あくまでも動物に属するわけだから人間の変種ではない。「まんとくん」は、人間にとっては、初めからヨソモノ、他の動物だから、人間は自分との差異を気にしなくてもすむ。ストレスを感じないということだ。それが、「まんとくん」の“インパクト低&好感度高”という根拠、「衝撃的ではないが(「せんとくん」よりは)愛される」理由でしょう。今回のアンケート結果は、ストレス度が、インパクト度に比例、好感度に反比例している。

***

“インパクト高&好感度高”の最強のキャラを作るには、インパクト度&好感度を、ストレス度に比例させればいい。わかっちゃいるけど、衝撃性と万人に愛されることは相反することだから、融合するのはとても難しい。だから、人間や動物の変種ではなく、もろ人間の、第三のキャラクター「なーむくん」が登場したことも納得がいく。このキャラには、インパクトと好感度の矛盾が存在しない。相反する二者の葛藤がないので、まったく緊張感が感じられない。さて・・・、

どのキャラを選ぶ?

と問われると困ってしまう。問われてないけど(笑)。「そもそも、平城遷都1300年祭にキャラクターは必要なのかしら?」という根源的な問題を考えないと答えが出せない難儀な性格だ。といっても、「平城遷都1300年祭」に関心があるわけでもない。「せんとくん」と「まんとくん」と「なーむくん」の位置関係が、なんだか世の中を現していて興味深いだけです。

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2008-06-26    
松田優作レース
が意外な展開になってきた!!

数年前から密かに“松田優作レース”というのを楽しんでいる。参加したい人はメールください。

それはさておき、このレースは「若手俳優の中で誰が故松田優作のポジションを獲得するか?」を見守るものだ。あるとき、優作を目標とする若手俳優がたくさんいることに気がついた。“カッコイイ系”の若手俳優は少なからず彼の影響をかなり受けている。本人は意識していなくても、所属プロダクションが、優作のポジションを狙うことを戦略としている場合もあるだろう。それだけ、まだ誰も座っていない優作の椅子は魅力的であり、その椅子に座ることは難関なのだ。

レースは、松田本家の長男&次男である龍平&翔太のほかに、木村拓哉、伊勢谷友介の4名でスタートした。木村は声と人気度、伊勢谷はルックスと声、翔太は雰囲気、龍平は演技力と、4名のいいところを合体させれば優作になるかもしれないという状況で、いまひとつ頭角を現す俳優がいなかった。他の若手俳優を発掘する努力もしているが、たとえ本人が目指していたとしても、私が優作との関連性を見出せず、ここのところレースは停滞気味だった。

しかし、突然、圏外からトップに躍り出た若手が登場。藤原竜也である。7月に公開予定の映画『カメレオン』で主演しているのだが、試写したとたん、優作の椅子に一番近い若手だと実感した。『デスノート』では優等生のイメージが強かったので驚いた。

彼の雰囲気、演技力は文句なし。ルックスと声は酷似しているとはいえないが、得たいのしれない狂気の内包の仕方が優作的だ。龍平にも優作的狂気を感じるが、彼の場合は天然の狂気。藤原の場合は抑制された狂気で、こっちのほうがめちゃくちゃ恐い。

若手といっても藤原は、15歳のときに、舞台『身毒丸』の主役オーディションで蜷川幸雄に見い出され、俳優として10年のキャリアの持ち主。今後、どのような俳優になっていくか楽しみだ。もちろん、龍平、翔太、木村、伊勢谷の行く末も。

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